冬も近づき・・・
2021年11月10日 14時17分全国のみなさま、こんにちは。
全国的に大気が不安定になり、ここ三崎も雨が降ったりやんだり。
明日は持久走大会ですが、果たして実施できるかしら・・・
(意外と雨が降らずにできるんじゃないかな、とも思っています)
さてさて立冬も迎えあっという間に冬に向かっていることを肌で感じられる今日この頃です。
○○の秋とはよくいうものの、少し考えてみると、
秋は少しだけ時間が進むのが遅く色々チャレンジできるよ、
という体感を表しているのかもしれません。
でもここ数日で急に寒くなり、冬が近づいてくると、
「あれ?11月に入ってもう10日も過ぎちゃったの??」
と、個人的には少し速すぎる感じがします。
こういうときにちょっと不安な気持ちを抱えてたりすると、時間に流されてしまい、つい、
自分は必要とされているのか、とか、ここにいていいのかな、って思ってしまったりしませんか?
特に高校生の諸君。
私は、そう思ってしまうの当たり前だと思います。
自分がいる集団、コミュニティで何かに向かっているとき、
例えば文化祭の準備、有志の出し物など、全体として目標があると
とりあえずそれに乗っかっていれば、忙しい、大変と感じることはあっても
前述のような不安を感じることは少ないのかな、と。
でも行事ごとや定期考査がなく、コミュニティに属してはいるけど
日々の意味を自分で考えなきゃいけないのかな、なんていうときは
つい先ほどみたいに考えちゃいますよね。
どんなときでも、そこにいたい、と思うことより、
自分はそこにいない方が、と、つい思うことの方が多いと思います。
(これは私の好きな漫画「あひるの空」にもよく出て来た場面です)
いいんですよ、そこにいて。
もし余裕があれば自分にできること、やらなきゃいけないことを一生懸命やれるといい。
そうすると、事後的に、そのことが誰かを助けている、またはやってよかった思えるようになります。
先日の1年生の模試で、国語の評論の文章に数学者が出てきましたが、
なぜかそこで「惻隠の情」についても触れられていました。
「惻隠の情」というのは、誰かが転んだとき、困ったとき、つい手を差し伸べてしまう反応、というか思い、というか行動のことです。
そんなもの自分にはない、と思う人もいるかもしれませんが、
実はこれは、対象は違えど誰にでもあるものです。
なぜ数学者の話に急に「惻隠の情」が出て来るのか、
興味がある人は三崎高校の模試を受けた1年生に尋ねてみてください。
話は飛びましたが、そのコミュニティにいることに不安を感じたら、
不安を感じている場であってもつい「惻隠の情」が発動する自分を褒めてあげてもいいし、
数学と「惻隠の情」なんてまったく関係のないものが繋がる世の中なんだから、
できることがんばってたらいつか誰かを助けることができるかもしれない、
なんて思ってみてもいいし。
個人的には冬は(寒くなると?)時間の流れが随分速く感じますが、
流されていても川面ではなく、川底で地面がどこにあるかを知っていたいですね。