春が近いのかと思いきや・・・
2022年2月24日 11時18分みなさま、こんにちは。
三崎は相変わらず風が吹いています。
・・・とても冷たい風がビュービューと・・・
寒いです!
今週末から少し暖かくなるようですが、
2週間ほど前に感じた春の雰囲気はどこかへ行ってしまったかのようです。
そういえば、アマゾン奥地に暮らす少数民族ピダハンは、
風が吹くとそこに精霊をみるのだそうです。
ちょっといいですよね。
冷たい風が吹くと僕たちはつい、寒い、と自分のことを考えてしまいますが、
そこに精霊がいる、と思えるのは、なんというか、夢がありますよね。
冷たい風の精霊はやっぱり青いのでしょうか・・・?
さてさて、三崎高校の生徒たちは学年末考査の真っ最中です。
昨日の祝日があったり、3年生の卒業式を挟んだりと普段より少し長い考査日程となっていますが、
それなりに勉強してくれていることと思います!
ただ試験期間が長くなると逆に、時間あるし○○の教科はまた明日でもいいや、ともなるかもしれませんね。
やらなきゃいけないこと、やった方がいいことを先送りにしてしまうことは誰でもあることですよね。
でも、このテスト期間でそうすると、意外と自分と向き合えたりしませんか?
もちろん勉強しなきゃいけないところを、まあいいやと思い結局スマホを見るばっかり、
ゲームをしてばっかり、ということはあるかもしれませんが、
こういうときのその時間の使い方って、つい後から振り返ってしまいませんか?
やっぱり勉強すればよかったとか、スマホなんていつでも見ることができるのに、とか。
運良くゲームをやり始めた段階で、あっ、って気づけると、そんなときはスマホをいじったりとかゲームをしていた自分がなんとなく虚しく感じられたりしませんか?
もちろんその後、完全に切り替えて勉強できる人はなかなかすごい人だと思います。
私なんかは、なんとなく時間を浪費(?)してしまった後に、場合によっては切り替えることができなかったりします。
そういうときに感じるのは孤独、というか、自分何やってるんだろ、というか、そういうものを強く感じます。
もちろん両隣りの家にはとても仲良くしてくれている人がいて、何なら電話をすればもしかしたらそのドアから飛び込んできてくれる人もいるかもしれない、(何かの)缶を持って。
でもそういう、自分が一人(独り)じゃない、っていう感覚とはちょっと違うんですよね。
高校生ってそういうこと感じることもあると思うんですよ。
特にずーっと誰かと一緒にいることが多いほど。
予期せぬ(?)孤独を感じることってあると思います。
でもそういうさびしさ?を感じることも大事なことではないでしょうか。
高校生で試験期間中だとみんな勉強していて、
誰もそんなふうに思っている自分に気づいてくれないと思うかもしれませんが、
たまにいません?やたらキョロキョロしてる人(・_・ ) ( ・_・)
人が集まって組織になっているとき最もいい人数は150人前後らしいです。
いい人数?と思う方は調べてみてください。(ダンバー数だったかな?)
あれ?三崎高校ってちょうど150人くらいですよね?
ってことは、あなたのことを見てくれている人が必ずいるんじゃないですかね。
自分が気づかなくても。
私は、三崎高校は、あなたのことを見てくれていない人は誰もいないと確信をもって言えますが、
もしそう思えなくても、そういうさびしさを感じた後なら
前より少しだけ優しくなれたりしませんか?
いつも友だちとか、他人ていう器が満たされていると、そもそもその器の有り難さや、そこを満たしてくれる存在の大切さって気づけないですよね。
でもこのさびしさって(同じさびしさを共有できているのか分かりませんが。苦笑)周りに目を向けさせてくれないこともありますよね。
自分のダメなとことか、嫌だと思っていることばかりに目がいっちゃうこと。
そのさびしい思いに引っ張られて沈みきってしまうこともあるかもしれませんが、でもそれはちょっともったいないかも。
自分が沈んでいくときってつい過去のことをこれでもかっていうくらい掘り返して、なんて自分はだめなんだ、
とかあれも嫌だしこれも嫌だしみたいなこと思ってしまいがちかもしれませんが、昨日ラジオ聴いていたら誰かが言ってました。
「過去を憂えることはやめなさい。未来につながるのは今だけなんだから。」
って。
これ、私はあー、って思っちゃいました。
もちろん過去があって今があって未来があるから、過去も間違いなく未来につながっているんですが、そうではなくて。
未来につなげることのできる過去は今しかない、みたいな感じですかね。
それにそのとき感じていること、経験していることって未来でしか理解できないことですよね。
音楽がわかりやすい例だと思いますが、歌詞とか曲って、一つ一つの言葉や音符を聴いた瞬間だけでその意味や曲調が分かるものではないですよね。
過去を知っていて、ほんの少し未来が見えそうで、その言葉・音を聴いた後に初めて理解できますよね。
この話はどこかのクラスでした気がしますが、音楽が嫌いな人っていないじゃないですか。
そのジャンルに好き嫌いはあっても音楽嫌いな人って・・・なかなかいないですよね。
ってことは、人っていうのはそうやって、ある意味伏線を回収するのが大好きなんじゃないですかね。
話は飛んじゃったけど、だから、たまにはさびしさを感じることも大切だと思います。
そのときに自分を見つめ返したり、さびしさを感じたりして、後になってその意味が分かる。
その思いの意味は後になって回収すればいいじゃないですか(^^)
その意味でこの考査期間というのは、私は高校生にとってよくできた時間だと思います。
勉強は自分とどれだけ向き合えるか。自分が何を分かっていて何を分かっていないのか。また自分がどんなことに興味があるのか。
あ、最初から興味があることなんて滅多にないですよね。
自分のことを知る中でどうやらこれに興味があるらしい。
後になってやっと自分の興味があるものが分かる。
もし勉強しなくてもその時間をなにもせずに過ごせばきっと自分と向き合う時間になるのだろうし、もしゲームとかスマホとかに使っちゃっても後から、どう考えても振り返る羽目になります。
そう考えると考査期間というのは意外と悪いものではなくないですか?
最後の考査の長い期間、きっと充実したものになるでしょう。(もちろん勉強でだよね?笑)