みさこう日記

三崎高校創立記念日 74歳!

2025年1月16日 08時54分

 今から74年前の1951年(昭和26年)1月1日に三崎高校が創立され、1月16日開校し、入学式が行われました。74年前の今日、三崎高校の歴史が始まったのです。今日で三崎高校は74歳、みんなで三崎高校をお祝いしましょう。

 さて、三崎高校のこの長い歴史の中でいつから、太鼓演奏の歴史が始まったのでしょうか。それは、今から25年前、2000年(平成12年)、三崎高校創立50周年式典から始まりました。私が高校3年生の時です。文化祭の開幕演奏で同級生の男の子2人が太鼓を演奏したことを今でも覚えています。太鼓2台!これは、当時の藤原惠校長先生が、「太鼓の音で三崎高校に元気を与えたい!いつまでも、三崎高校が続いてほしい!」との思いで、太鼓を寄付してくださいました。曲は、当時音楽の先生だった浜辺先生が作曲したものを演奏していました。60周年式典では、学校で太鼓を1台購入し、この時から4人で演奏するようになりました。今、三崎高校には合計3台の太鼓があります。

 私は2017年、今から8年前にこの三崎高校に赴任しました。「高校生の叩く太鼓の音を町に響かせ、元気を与えたい」と思い、今まで4人だったメンバーを8人に増やし、曲も新しく作り、その曲名が「みさこう太鼓」。今、入学式・卒業式などの式典で演奏しているものです。最初の男子の大きな掛け声と太鼓の音は、山の神、海の神、風の神を表しています。女子の掛け声で、音楽が軽快に始まります。三崎の秋祭りで使われているリズムも取り入れ、全国から三崎高校に集まった生徒たちが、三崎という地で躍動している様子を表現しました。「いつまでも三崎高校が続きますように、この太鼓の音が未来まで続きますように」そんな思いで「みさこう太鼓」を書き上げました。8年前から、吹奏楽部と共にイベントで一緒に出演し、当時の太鼓メンバーは、「僕たちは吹奏楽部だろうか」と錯覚するくらい、一緒に町のために活躍してくれました。

 コロナになり活動は停止しました。

 世界中に新型コロナウイルスが大流行し、多くの演奏の機会が奪われ、町のあらゆるイベントや祭りが中止になり、空白の時間が流れていました。もちろん三崎地区の秋祭りも実施できなくなり、この町から秋祭りの音が消えました。しかし、三崎高校では、秋祭りの音を高校生で未来へ繋ごうと、今のみさこう郷土芸能の活動がはじまったのです。令和3年からです。三崎地区で秋祭りが行われなかった10月8日・9日、三崎高校体育館では、生徒たちの太鼓の音が鳴り響いていました。三崎高校では確かにみさこう生が「伝統を未来へ」繋いでいたのです。その光景は本当に言葉では言い表せない感動がありました。そして、まだ秋祭りが中止だった令和3年度三崎高校文化祭で「みさこう郷土芸能」を初披露しました。高校生が叩く迫力ある太鼓の音と、躍動感溢れる舞は地域の方々に多くの感動を与えました。

 令和4年度高校文化祭では、プロの演奏家とジョイントし、また浦安の舞を生演奏しました。

 令和5年度高校文化祭では、自分たちで浦安の舞を生演奏し、照明や、竹を使った舞台演出をし、壮大な世界観を生み出すことができました。

 令和6年度は、のぼりをたて、そして、男子太鼓を大幅に増やし、一層力強いステージそして、表現力も一層磨きをかけたステージになりました。

 令和7年度、三崎高校74歳、みさこう郷土芸能5代目の今の1年生たちはどのような進化を遂げてくれるのか今からとても楽しみです。

 地域の伝統芸能を未来へ繋ぐみさこう生がいる限り、故郷はいつまでも未来に続いていく、そして三崎高校も未来へつながると信じています。

 74歳の三崎高校。まだまだこれからです。三崎高校は、夢を見ることができる場所です。私はたくさんの夢を見て、実現してきました。この「みさこう郷土芸能」もその一つです。皆さんも三崎高校でたくさん夢を見て、実現してください。実現するためにはどうすれば良いか、それを教えてくれるのが、まち、地域、そして関わる人たちです。地域のために・・・三崎高校のために・・・という言葉は、そのような意味があるのです。

 今後も地域とともに成長する三崎高校であってほしいと思います。

 三崎高校74歳。お誕生日本当におめでとう。